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説明しすぎないという説明

  • 執筆者の写真: gen taneichi
    gen taneichi
  • 2021年3月12日
  • 読了時間: 1分

20年位前、お笑い観てて思ったんですけど。

「コント〜 〇〇が△だったら〜」みたいなのあるじゃないですか。

あれ、いらないですよね。


たった一言のあれを言わないだけで、笑いが爆発するのに、どうしても観る人にわかってもらいたくて説明しすぎちゃう。

お笑いに関しては素人ですから、偉そうに言うつもりはありませんが、外側だからこそ見えてくることは多々あります。


僕ら音楽家も同じだなと実感。

少なくとも僕なんかは、

そもそも、人に認められたくて、わざわざ外側にアピってるわけですから、第三者の評価をとても重要視してしまいます。

が故に、ついつい「自分の凄さ」を認められたくて、それを音で説明しすぎてしまうのです。挙げ句の果てに、それが作品に影響されたりしたら、これは本末転倒で最悪です。


表現において

「私が、私の思うことを、私らしく発信する」

それ以外に表現において全く意味はないわけで、この理念の欠如が「自分を見失う」ということなのでしょう。


僕は「バランスをとろうとバランスを崩す」タイプの人間なので、この先の人生も「好き」だけを追求、意識して歩んで行こう...いや、上流に歯向かうでなく、流れにまかせて水面に浮かんで行こうと思うのであります。


あー 説明疲れた。


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